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栗城史多さんのスポンサーや 結婚は?読み方やブログも気になる

みなさんこんにちは。
yoshi3です。

本日、北海道出身の登山家:栗城史多(くりきのぶかず)さんが、8度目の登頂に挑戦していたエベレストでの下山中に低体温症でお亡くなりになった事がわかりました。

21日栗城さんの所属事務所が、栗城さんの公式ブログなどで「このようなお知らせになり大変申し訳ございませんが、エベレストで下山途中の栗城が遺体となり発見されました。」
と発表がありました。
公式ブログによると、21日7400m地点で体調が悪化し下山を開始するも、無線に応じなくなった為、キャンプ2付近にいた関係者が捜索、死亡している栗城さんを発見したとの事です。

 

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エベレストに魅了され、エベレストに挑戦し続けた男

 

1982年6月9日 北海道生まれ。
大学の山岳部に入部してから登山を始め、6大陸の最高峰を制覇し、かつ、8000m級の山々を無酸素で登頂されています。

2011年秋季エベレストでは、インターネットで見事生中継に成功。

2012年6月ヒマラヤ山脈の8000m峰「シシャパンマ」南西壁無酸素単独登頂&スキー滑降の下山途中、6500m付近から滑落し、全身打撲、胸の骨を折るなどの大怪我に見舞われるも、無事生還する。

同じ年の10月、エベレスト西陵 ホーンバイン・クーロワール8070m地点まで到達するも、両手・両足・鼻が重度の凍傷になり、右手親指以外9本の指の第二関節から先を切断するという事態にまでなりました。

その後も2015年、2016年とエベレストに挑み続け、栗城さんのオフィシャルサイトの記録では、2016年まで6度に渡りエベレストへ挑戦されていますが、未だ登頂に至っておられず、2017年に7度目の挑戦をされるも、登頂に至らず。

そして、2018年5月が8度目のそして、最後の挑戦となってしまいました。

これまで数々の山々を登頂されていただけに、エベレストへの思いが人一倍強かった事でしょう。

栗城さんは「無酸素」「単独」という事に強いこだわりを持たれてようで、それが仇になったのかも知れません。

過去にはエベレストへ無酸素で登頂することは医学上不可能との説もあったようですが、1978年イタリア人登山家ラインホルト・メスナーがオーストリア人登山家ペーター・ハーベラーと共に人類初のエベレスト無酸素登頂に成功。世界を驚かせました。

更に2年後の1980年にメスナーは、途中クレバスに転落する事故に遭いながら、エベレスト無酸素・単独登頂の偉業を成し遂げられています。

また、日本人の無酸素登頂成功者も数人いらっしゃるらしく、栗城さんは日本人として、無酸素「単独」にこだわり続けたのでしょうね。

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多額の資金が必要な登山家、スポンサーは?また、ご結婚は?

 

栗城さんは「チームクリキ」というサポーターチームを編成し、「冒険の共有」を合言葉に否定の壁を越えて一歩踏み出す人を増やすプロジェクトとしてエベレスト無酸素・単独登頂の世界をエベレストからの生中継で交流メンバーへ配信し、メンバーの夢を応援しあうという取り組みもされていて、ご自身の経験を生かして講演会などに出向き、ホームページ上でショッピングサイトも運営しながら、資金の調達をされていたようです。

2011年からは吉本クリエイティブエージェンシーとも業務提携されていました。
そしてその夢を応援する沢山の企業がスポンサーとしてオフィシャルホームページに挙げられています。

栗城史多さんは享年35歳という若さでエベレストの頂きに憧れ、エベレストに敗れこの世を去った訳ですが、ネットの情報によると登山を始めたのは大学時代に振られた彼女の影響らしく、登山部だった彼女と同じ景色を見たいという理由だそうで、ご結婚もされていませんでした。

エベレストではパーティーを組んでアタックをしたとしても、滑落等の事故にあった場合、場所によっては、そのクルーを見捨てて帰らなければならない事が多々あるようです。

なので、エベレストには回収されることの無い遺体があちこちにあり、今もなお家族のもとへ帰る事無く、その場に居続けるのです。その様な過酷なチャレンジである事を考えれば、今回悲しくも遺体での帰還とはなりましたが、家族の元へ帰ることが出来た栗城さんは幸せだったのかも知れません。かの有名な冒険家であり登山家の植村直己氏の遺体はまだ発見されていないのですから。

ネット上では栗城さんの事を色々と言う方もいらっしゃる様ですが、私は自分の意思を貫いた勇気ある登山家として、彼のご冥福をお祈り致します。

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