みなさん、こんにちは。
yoshi3です。
今回は、私も初めて知ったのですが、刑務所内だけに放送する
ラジオ番組があると言う事です。
塀の中の閉ざされた社会で、彼らのためだけのラジオ放送がある事に
驚いたのと同時に、とても良い事だという思いと、どういう経緯で
それが創設されたのか?
など、興味が止まらなくなりましたので、受刑者さんの為のラジオ放送を
探ってみたいと思います。
刑務所の受刑者さんだけに向けたラジオ放送。そのルーツは
知らなかった・・・・
刑務所の中で受刑者さんだけに向けた「ラジオ放送」があるなんて。
すごく良い取り組みというか、単純に「いいことだなぁ~」って思いました。
別に、身内にそういう人間がいる訳でもありませんが、
なんとなくそんな感情がふっと頭をよぎった感じです。
日本最初の刑務所に向けたラジオ放送は、昭和54年に富山刑務所で
毎月1回、月末の月曜日に地元の「清源禅寺」(曹洞宗:そうとうしゅう)
ご住職の川越恒豊氏が「方丈豊」という名前で始められたのが最初という事です。
昭和54年の放送開始以来38年間(今年で39年目)、毎月最終月曜日の
午後7時30分から午後9時まで1時間30分、「730ナイトアワー」を
川越さんは一度も休んだことがないとのこと。
39年間、一度も休みなし・・・本当に頭が下がる思いです。
かつて地元の民放ラジオでDJをしておられた事があるらしく、
39年前にボランティアで刑務所ラジオを引き受けられ、
今日まで続けておられます。
川越さん以下女性二人を交えての語りと、受刑者さんから届いた
200字詰めの原稿用紙1枚分のメッセージとリクエストは毎回テーマを決め、
そのテーマに沿った受刑者さんたちの思いを紹介する。といった内容です。
「更生」その意味を思い起こさせ、社会に復帰し貢献する意欲の糧。
川越住職は、この役目もそろそろ終わりか。と考えても、
「彼らが待っている」その思いが川越住職をラジオに向かわせます。
毎月何十と届くメッセージ。
川越住職は言います。
「彼らは拘禁されているけど、テレビも見られる。雑誌も読める。
しかし、生の声は聴けないんです。外からの生の声を聴きたいんですよ。
自分のメッセージが読まれ、住職が返すコメントの中に「自由さ」を見出し、
「早く復帰したい」という意欲が湧いてくる。
自分のメッセージに共感してもらえた。そういう「誰かとつながる喜び」が
彼らの癒しになり、復帰への自信につながる小さな芽を育てる。
それが「730」だと思っているんです。」
今では、全国いろんな刑務所で「刑務所内ラジオ放送」があるようですが、
どの刑務所のどの放送をとっても、全て共通している事は「受刑者さんの更生と、
社会復帰。もう二度とここへ戻る事が無い様に、社会に貢献できる人になって欲しい」
ということを、本気で心の底から思って、受刑者さんの為だけに放送している。
その思いです。
そして、その思いは間違いなく、確実に受刑者さん一人一人に届いているという事。
最後に・・・
「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに
顕著な業績があったものについて、その栄誉を讃える」
上の言葉が意味する事を、今一度考え直す必要があると思うのは、
私だけでは無い事を祈ります。
私の様な若輩者が偉そうに他人様を評価など滅相もございませんが、
これだけは言います。
川越恒豊住職、あなたは上述の言葉に十二分にふさわしい貢献をされ、
全国にその輪を広げられた功績は計り知れないものがあり、
まさにあなた様の為にあるものだと、私は思います。
そして、全国には私などが想像も及ばない様な「スゴイ」方々が、
まだまだ沢山いらっしゃるんだろう。と勝手に思ってしまいます。
子供に「犬を飼いたい」とせがまれ、ずっと反対し続けていたのに、
ある事がきっかけで犬を飼う事になり、それまで何の興味も感情も抱かなかった
ペットの「殺処分」に対して、「どうしてこの愚行が無くならないなか?」
ずっと考えています。今も。
保健所に連れていかれた彼らは、余程の「ラッキー」な出来事が無い限り、
確実に日々処分に近づく毎日を送っています。
何も悪い事をした訳ではないのに。
そんな彼らと比べる事は愚かな考えかも知れませんが、
刑務所に入り自由を拘束されている身柄としては、
同じような境遇にいるわけです。
でも、決定的に違う事は、「死刑」や「終身刑」以外の方々には、
時間の差はあれど、またやり直せるチャンスが与えられているのです。
そして、それを応援してくれる人が、必ず居ます。
必ず「100%」です。
いつしか、自分の夢(目標)は、ペット殺処分「0」の為の施設をたちあげ、
体に障害を持っていても働く意欲のある方、刑期を終え社会でやり直したいと
思っている方などと一緒に、その施設を運営し全国に、全世界に広げたいと
本気で思っています。
「やりたい」では無い。
「やる」か「やらない」か。
それだけです。