みなさん、こんにちは。
yoshi3です。
今回は、音楽の著作権料の徴収範囲を「音楽教室も徴収の対象とする」
として2017年2月にJASRAC(ジャスラック):日本音楽著作権協会が
発表したこと、そして徴収が始まったことについて各方面から賛否の声が
上がっていることについて調べてみました。
音楽教室を対象としたJASRACの著作権料徴収は「悪」なのか?
2017年2月に発表後、2018年1月より音楽教室をJASRACの管理対象含め、
徴収開始をする予定でしたが、音楽教室などで組織された団体から東京地裁へ
音楽教室へ演奏権は及ばないと提訴したことで徴収開始は保留となりましたが、
2018年3月、裁判の判決前にも関わらず、文化庁から徴収を認める裁定が出されました。
これを受けて、JASRACは4月より徴収を開始すると発表、大手楽器メーカーや
音楽教室との契約交渉を開始した。
JASRAC自体が民衆から「勘違い」されていないか?
JASRACは依頼者の著作権管理という形で依頼者の利益と財産を守る団体であり、
権利者から見た場合、これほど頼もしい団体はないと言いていいでしょう。
JASRACは文科省や文化庁の「天下り先」と言われていますが、実際は
もう何年も前から歌手や、作詞家、作曲家、指揮者などの著名人が務めています。
そして、著作権使用料の徴収はかなり細かい管理がなされ、1曲単位で
権利者へ支払われています。
現在は、音楽著作権の管理業務が解放されているため、他の事業者も存在し、
歌手が自分で管理する事も出来ます。
しかし、その管理と使用料の徴収は個人レベルでは到底不可能であり、
結局のところ個人で活動するミュージシャンなどはJASRACと契約出来るかが、
個人の著作権料を最大限回収するためには必然となります。

音楽という自分の財産を守るためにJASRACは最大限の価値を提供してくれる。
逆にJASRACに曲を管理してもらえれば契約者の有名・無名にかかわらず、
平等に管理してもらう事が可能であり、大手のプラットフォームとの包括的な
契約まで結んで、個人の楽曲等の権利を守ってくれるという訳です。
凄くないですか?
これほど音楽アーティストの持つ「権利」を強く守ってくれる存在は無いですよね。
JASRACはなぜ世論から反感を買うように使用料徴収対象を広げるのか?
まず、よく聞く徴収対象を拡大する理由として、楽曲使用料の徴収額が減少し、
その穴埋めに対象を拡大しているのではないか?という事です。
2008年のリーマンショック以降2011年まで減少していたことは事実です。
しかも、
2011年4月より フィットネスクラブ
2012年4月より カルチャーセンター
2015年4月より ダンス教室
2016年4月より カラオケ教室
といった感じで次々と徴収対象を広げています。
その結果、2009年から2011年まで徴収額が減少していたのが
2012年度に回復し、約10億ほどの増収を得ました。
2012年の増収に関しては、2011年の東日本大震災によるコンサートの中止や
自粛の反動でCD業界も久しぶりに売り上げが増加した年でもありました。
この様に、2011年以降毎年徴収対象を広げる事をしてきたのは事実であり、
この行動が、先に記述した「穴埋め」と捉えられても仕方ない様に見えてしまいます。
著作権使用料の徴収対象を広げた本当の理由とは?
少し昔に立ち戻った問題と、世界的な著作権の条約が関係しています。
搔い摘んで言いますと、1996年のWTO(世界貿易機構)で、日本の著作権法に
問題があるとの指摘から始まり、1970年に新たに制定された著作権法で、
録音物の再生演奏のうち、音楽喫茶、ダンス、それに伴う演劇などは、
著作権が制限される「附則」がついた法律でした。
その為、飲食店や演劇においての再生演奏は自由に行える文化と習慣が
日本に定着してしまう事になります。
ところが、WTO(世界貿易機構)は上述の様な権利の制限は他国では存在せず、
日本が1899年に加入したベルヌ条約(文化的及び美術的著作物の保護に関する条約)
では、この「附則」は認められないと指摘され、1999年に著作権法から正式に
削除されました。
この経緯があって、JASRACは営利を伴う演奏行為について各所との契約交渉を
行う様になりました。
この様な経緯をご存知ない場合がほとんどだと思います。
という事は、これらの経緯を理解頂かない限り、上述した内容だけを見れば、
「穴埋め工作」「新たな収入源の確保」といった受け取り方をされても
仕方ないということです。
JASRACが行っている行動は何ら法的に問題がある訳でもなく、
むしろ世界的な条約を守らんが為の行動でしかないのですが、
いかんせんそこへたどり着くまでに時間が掛かってしまった事が、
周りの理解を得られない最大のハードルとなってしまっている様に思います。
日本国内のアーティストの権利を守るだけでなく、日本に輸入される
海外のアーティストの権利も守らなくてはならない。
ただし、そこにはこれまでの習慣が邪魔をしてしまいます。
この誤解を解かない限り、著作権法というものは権利を主張し
無断使用を取り締まるだけの法律という印象を拭い去れないのです。
権利の主張が行き過ぎると、「使いにくい」作品として世間に
流通しなくなってしまい、本来の財産として守ることから逸脱
してしまう事につながります。
これからはそもそもの権利を持つ原著作者の理解や、業界全体の
柔軟な対応が日本における音楽メディアの将来を決定していくと
言っても過言ではない様に思われます。
最後までお読み頂き、ありがとうございます。
では、また次回の記事でお会いしましょう。